社会・歴史・文化

邪馬台国は、筑紫平野にあった?という説は、あり得んでしょ。

 邪馬台国は、福岡、佐賀両県にまたがる筑紫平野の複数のクニで形成していた――。そんな「筑紫平野連合説」を唱えて、注目を集めている小郡市埋蔵文化財調査センターの片岡宏二所長(65)が、自説をまとめた著書の三部作を完結させた。片岡さんは三部作を通じて、「近代国家の先入観にとらわれず、多くの人に邪馬台国を考えてもらいたい」と話している。

 中国の歴史書「魏志倭人伝」によると、邪馬台国の女王卑弥呼は「共立」されたと表現されている。片岡さんは、この記述に基づき、「卑弥呼は、近畿地方の強大な勢力の女王ではなく、筑紫平野の複数のクニが共に擁立した」という筑紫平野連合説を提唱。最近の邪馬台国九州説の代表的論客となっている。

 三部作は「邪馬台国論争の新視点」と題したシリーズで、2011年に副題「遺跡が示す九州説」、19年に同「倭人伝が語る九州説」と続編を刊行。昨年、新刊として副題「東アジアからみた九州説」を刊行し、三部作を完結させた。

 新刊(194ページ)では、邪馬台国と「ヤマト王権」は、別勢力だったとする江戸時代からの説を紹介。

 中国の史書に書かれた「倭」は「日本人が決めた領域ではなく、中国が認識した場所で、その範囲は当初は玄界灘周辺にとどまった」と指摘。後に熊本県の菊池平野、熊本平野まで入ったものの、近畿地方までは含まれず、「倭の中にあった邪馬台国も当然、九州だった」と考察した。

 「南北朝時代にさえ、明国は、九州を制圧した南朝の懐良親王を『日本国王』と呼んだ」とし、「中国から見れば、九州の勢力を『倭の統一政権』と判断することがあり得た」と説明している。

 片岡さんは、邪馬台国を特集した昨年12月のテレビ番組で、久留米市出身の歌手藤井フミヤさんを案内。朝倉市の平塚川添遺跡や卑弥呼の墓の可能性があるという久留米市内の祇園山古墳を巡るなど、九州説の紹介に力を入れている。

 片岡さんは「小さなクニが協調して女王を立てた国のあり方を、現代や将来の国のあり方を考える参考にしてほしい」と期待を込める。

https://www.yomiuri.co.jp/local/fukuoka/news/20220201-OYTNT50099/

~ 読売新聞より ~

と、のたまっておりますが・・・

そもそも卑弥呼っていたのって説はほとんど報道しない。

東京大学などの左翼大学のお偉い嘘つき教授の説ばかり、報道するわけだ。

卑弥呼はいなかった説

卑弥呼ってのは、結局のところ
「中国の歴史書「魏志倭人伝」によると、邪馬台国の女王卑弥呼は「共立」されたと表現されている」
って、この魏志倭人伝にしか出てこないんだよね。

たぶん邪馬台国らしきものがあった・・・のかもしれない。

が、卑弥呼に関する情報が遺跡も含めてどこにも出てきてないんだよ。

でも、魏志倭人伝のあるので「いた」と言い張ってるお偉い歴史学者。

日本のお偉い歴史学者って書籍からしか歴史を分析してないんよ。

つまり、証拠は書籍。

つかってる書籍そのものがフィクションという可能性を吹っ飛ばしてるわけ。

ということで、証拠(遺跡などの発掘された物的証拠)がない以上、魏志倭人伝にしか出てきてない以上、卑弥呼は実在していないって説が有力だと思うけど、あなたはどう思う?

関連記事一覧

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。